野村克也さんが遺された言葉を、経理業務に置き換えて

多くの野球選手を育てられたと同時に、その中で数々の言葉を遺された野村克也さん。その言葉は野球界を飛び越えて、色んな職種や年齢の人達に対しても大きな大きな参考となっているものだと感じています。それは経理業務に携わっている経理担当者さんにとっても、そして私にとっても。

今回の記事は、野村克也さんが生んだ言葉や引用された言葉の中から、経理業務に置き換えて役立たせて頂きたいと強く感じ、書きたいと思いました。

2020年2月11日、84才で急逝された野村克也さん。

野村克也さんの訃報に関するニュースは、多くのメディアから発信されているニュースですでにご存じかと思います。野村克也さんとお会いした事が無いのは勿論、遠くからお見かけした事もありません。そんな私ですら野村克也さんの訃報を知った時、何というか…とても驚き、そして大きな悲しみを覚えました。

テレビ報道やインターネットニュースで発信された、野村克也さんに関する沢山の訃報記事を目にし、日を追うごとにその悲しみが静かに深くなっているとともに、寂しさも感じています。

野村克也さんの訃報を報じるニュースで知ったのですが、野村克也さんは多くの著書があって、それが様々な人達に読まれている事でした。

このニュース、とても素直に納得しました。なぜなら、野村克也さんの著書を手にしたことは無いのですが、野村克也さんが生前に発せられた言葉のいくつかで、自分の身の回りに置き換えて考えた事が過去に何度かあったからです。

そういった事も、今回の記事を書こうと思ったきっかけになっているかもしれません。

私だけでなく、野村克也さんが残された言葉をご自身に当てはめて考え、仕事や人生の参考にされた方って沢山いらっしゃると思います。

そんな沢山の人達の一人として、恐縮しつつも野村克也さんが遺された言葉について考えてみたいと思います。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

野村克也さんが遺された言葉の中でも、もっとも有名な言葉の一つとして知られているのではないでしょうか。

この言葉は、江戸時代の中期&後期の大名で、肥前国平戸藩の第9代藩主だった松浦 清(まつら きよし)が、家督を息子に譲った後、松浦静山という名(今でいうペンネームでしょうか)で執筆した随筆集『甲子夜話』の中の一節で、野村克也さんが座右の銘として引用していた言葉です。

「勝負は時の運ということもあるが、一つだけはっきり言えることがある。偶然に勝つことはあっても、偶然に負けることはない。失敗の裏には、必ず落ち度があるはずだ」という意味のようです。

これを経理業務に置き換えるとしたら。色々置き換えられると思いますが~

『利益に不思議の利益あり、損に不思議の損なし』という置き換えも出来るかなと。

…と、置き換えてみたものの、、果たして~偶然に利益を得るなんてあるかな?って思ったりもしたのですが。。

偶然に利益を得たというか、幸運や人との出会いによって利益を得た経験はありますね。ギャンブルとかでなく、仕事での経験ですよ(笑)?これら、幸運や人との出会いを「偶然の利益」と言ってもいいのなら。

利益に不思議の利益あり。は存在するのかもしれませんね。

では、損はどうでしょう。

確かに、損に不思議の損はないように思います。損の裏には、必ずミス(落ち度)があると。ミスをするかしないか、ミスに気付くか気付かないかで、その後の展開も大きく変わりますよね。

結果論になってしまいますが、過去に損した経験を思い返してみると、その多くでヒューマンエラーや経過観察の漏れや判断の見誤りなど、損に繋がる何らかのミスをしています。その仕事に就いたばかりの新人なら、起こしたミスが何なのか?も分からなかったりしますが、そうでなければ、起こしたミスの殆どが防げるものであったと思います。もう一度言います…結果論ですけどね。。

とはいえ、ワザとミスする人なんていませんし、それを好む人もいません。しかし、その時それぞれの理由があってミスは起き、決して小さくない要因として損に繋がっていると感じます。

そう考えると、偶然の損、不思議の損は無いのかなって思いますね。

このように『利益に不思議の利益あり、損に不思議の損なし』の他にも、『売上に不思議の売上あり、経費に不思議の経費なし』という、”不思議”の意味は変わってきますが、こういう置き換えもアリだと思います。

人生の最大の敵、それは“鈍感”である

野村克也さんが監督時代に常々言っておられたようです。

この言葉は置き換えなくても、そのまま色んな職業に活用出来ると思います。私自身も「その通り!」と思う言葉でもあります。現に、鈍感が原因で起こしたミスもいくつかありましたしね。

鈍感という言葉は、全ての場面にとって悪という意味でもありません。「鈍感力」という言葉もありますが(笑)、一喜一憂せずに物事を捉える心構えとしてそれが有効な事もあります。

ここで言う鈍感は、「注意力・観察力が欠けている」「油断している」「気遣いや気配りに欠けている」など、仕事をする上で注意しなければならない場合ですね。

しかし、、ずっと敏感でい続けるのも・・これまた難儀な事ですけどね。

そう、何もずっと敏感でい続けろ!という事でもないと思います。注意力や集中力は時間的にも限界がありますから。

大切なポイントを押さえる。ここぞ!という場面を逃さない。ここぞ!という場面がどこなのか、全体像を把握する。要するに…そのものの本質を捉える。

って、感じでしょうか。これら、経理業務をしていく上で必要な事だと思います。

それを叶えるには、「注意力・観察力を持つ」「油断しない」「必要な気遣いや気配りを忘れない」という事になるんでしょうね。

考え方が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる

これも、野村克也さんが遺された言葉の中で有名な言葉ですね。ある種の時系列になっていてイメージもしやすく、とても分かりやすい言葉だと思います。

この言葉も何かに置き換えなくても、そのまま色んな職種に対して当てはまる事だと思うので、当然~経理業務に対しても、大いに役立つ言葉ではないでしょうか。

個人的には、経理業務に対してってよりも、人生の方向性をこの言葉が表現しているような、決定的な意味を持つ言葉に感じますね。

経理業務は、お金を生む仕事ではありません。生まれたお金を管理し運用していく仕事です。一見すると、この言葉があまりに壮大で圧倒的なので…「地味な経理業務にこんな大きな言葉というか格言みたいな事言われても・・」って感じたとしたら。

全然そんな事はありませんよ?経理業務、とてもとても重要な仕事なんですから。単に、生まれたお金を管理し運用していくだけの仕事が経理業務ではありません。経理業務は、生まれたお金に意志を吹き込む仕事です。この言葉のような流れを以って考えながら経理業務をしていく事は、お金に意志を吹き込むという大切な事を担っているに相応しいと思います。

そして、更に大切なのが~経理業務をはじめ、仕事というのは貴方だけのものではないし、貴方だけで終わってしまうものでもありません。貴方の後を歩いてくる人達がいるのです。例え、今はいなくても。

貴方の後ろを歩いてくる人達は、貴方の仕事やその考え方を見ています。これ、実際感じられた事があるかもしれませんが、本当にね、人ってよく見てるんですよね。特に欠点とか(笑)。。

貴方の仕事やその考え方って、後ろを歩いてくる人達が真似るんですよ。だから、貴方がどう考えているか?どういう仕事をしているか?ってのは、とても重要なんです。貴方の考え方があやふやだと、その「あやふや」を後ろから歩いてくる人達が真似るんです。

そんなものを継承させてしまうのは、その会社としても貴方個人としても、決して名誉なことではありません。

経理業務はじめ、仕事は精神論ではありません。実務として成果を上げていくことが必要であり、求められていることでもあります。でも、実務を行うための土台が強固でないと、その実務は少なくない割合で不安定になりがちです。

人は弱いし、一喜一憂もします。要するに不完全な生き物ということですね。野村克也さんは、それが分かっていたからこそ、こういう言葉を多く使われていたのだと思うのです。

野村克也さんは、野村監督として指導していた選手達に伝えた言葉ではありますが、選手も私達も同じ不完全な生き物という点では同じなワケです。であるなら、これらの言葉は私達にも十分役に立つものだと確信しています。

まとめ

今回の記事、如何でしたか。こういう色合いで記事を書くことはそう多くないので、私自身も書いていて色々感じることがありました。

私は今年の誕生日が来たら54才になります。

野村克也さんが現役選手やった時代もかすかに覚えていて、一番古い記憶は南海ホークスで捕手兼監督をされていた頃でしょうか。現役選手として最後にプレーをされていた西武ライオンズの頃は、中学生だったので割と覚えています。

とはいえ、私が子供の頃は、球場へ見に行くとかでなければ、テレビでは~ほぼ100%セ・リーグの試合、いや…読売巨人軍の試合しか放送されてなかったので、野村克也さんが現役選手だった頃の姿を思い出すものとして真っ先に浮かぶのは、駄菓子屋で売っていたお菓子の付録「プロ野球カード」の野村克也さんかな?って。

私の中の現役選手としての野村克也さんは、そういう淡い記憶ですが、やはり~ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルスで指揮をした「野村監督」は強烈な記憶として残っていますね。更には社会人野球の監督(シダックス)になった時は驚きました。

お会いした事もないのに、野村克也さんの訃報にこんなにも悲しく寂しい気持ちになったのは、野村監督としての姿と、監督を退いてから出演してたスポーツ番組などでの姿を見ていたというのは大きいと思います。身内でもないのに、こんな喪失感を覚えることにある意味では戸惑っています。でも、そういう方々多いように感じます。

万人に愛される人ってなかなかいないと思うので、野村克也さんを神様みたいに崇めたてるつもりはありませんが、そんな事をする必要なんてない。溢れる人間味、それがとてつもなく大きな魅力でした。

今回、野村克也さんが遺された沢山の言葉の中から、ほんのいくつかをお借りして経理業務に置き換えて書きましたが、熱烈なプロ野球ファンと公言するのははばかりつつも、私なりに野村克也さんへの哀悼の気持ちを込めて書いた記事でもあります。

また書くかもしれません。それだけ価値ある言葉を遺されたと思うので。

その時は野村克也さん、また言葉をお借りさせて下さい。